田母ちゃん本音を掘り下げな

 

11月11日13時19分配信 毎日新聞


 「政府の歴史認識に反する懸賞論文を公表し更迭された田母神俊雄航空幕僚長(60)は11日、参院外交防衛委員会参考人質疑終了後に報道陣の取材に応じ…退職金については「生活が苦しいので、ぜひ使わせてもらう」と返還の意志がないことを強調した。」


 田母神よ。「間違っていないので退職金は返還しない」と、胸そびやかしたのと矛盾したね。この時ばかりは。惨めな素振りで答えたね。この時ばかりは。


 「生活が苦しい」ってのは額面通りにゃ受け取れねえが、先々の暮らしへの不安ってんなら、その通りだろうよ。籠の鳥から一応抜けるわけだからね。


 上げ足は取らねえさ。だがこいつは言っとく。勇ましがりのあんたの実体は、そこにあるってことさ。暮らしのためにゃ矛盾も抱える。下げたくねえ頭下げることはある。惨めな顔さらすことはある。言いてえこと我慢することはある。嫁さんの顔浮かんだろうよ。こん時ばかりは。


 国家という組織の、仕組み・手段の籠の鳥。そん中で燃やした怒り「勇気」も、暮らしに出くわしゃ腰砕け。そこにあんたの実体があるってことだよ。


 暮らしという「足かせ」。古来、否応ねえ人間の基盤。トータルな人の世界。ここでどう生き、どう感じるか。それが思想って奴だぜ。


 手段のために餌もらい、暮らし忘れた籠の鳥。あんたが当て込んだネット世論の実体もそれだろうよ。真正面から暮らし見ることできねえ、青さ馬鹿さの烏合の衆。暮らしに自分に打ち込めねえ、無責任の者達。


 七転八倒の「栄華の巷」低くみて統治にいそしむのが、この国の政治の伝統さ。生活や女子供小馬鹿にして統治にすり寄るのが、この国の政治屋共が頼む孔子儒学のメンタリティーさ。西郷南洲の「暮らしの中で感じ取れ」。このこと忘れて頭ごなし・統治の道徳吹聴するのが、この国の教育の伝統さ。


 暮らし足蹴の勇ましがり捨てて、暮らしの思想作れ。暮らしの思想基盤に、国の理念仕組み作れ。こんなこたぁ六十年前のイロハだった。イロハ真っ当に実行しねえから、相も変わらず小児病、思想とも言えねえ代物がはびこる。それだけの話だ。


 暮らしのしんどさ、真っ当さ。こいつ正面から見る度胸ねえまま統治ににじり寄り、わが身も生きる暮らしの大海見くだす性根。こっから生まれるのが無反省と「自虐」史観批判ってのは、分かりやすい話だ。