吉本隆明の記憶

 以下は若い頃、俺が惹かれた吉本隆明の言葉。


 「苦しくても己れの歌を唱え」(1948年)

 「僕は一九四五年までの大戦争反戦的であったと自称する人たちを信じない。彼らは傍観した。真実の名の下に。僕は己れを苦しめた。虚偽に惑わされて。何れが賢者であるかは自明かも知れぬ。だが僕はそう明な傍観者を好まない」(1950年)

 「生まれ、婚姻し、子を生み、育て、老いた無数の人たちを畏れよう。あの人たちの貧しい食卓。暗い信仰。生活や嫉妬やの諍ひ。呑気な息子の鼻歌…」(1950年)

 「科学者とは科学に没入し、次に否定し、次に肯定し、これを超克した人のみに与えられる名称である」(1945年)

 「きみの喪失の感覚は、全世界的なものだ」(1953年)


 十代二十代の俺、田舎者の俺は、吉本の心の置き所に共鳴したのだと思う。

 それは今も変わらない。吉本自身が変わろうが変わるまいが。俺はこの数十年、それを辛うじて生きたと思っている。自分の人生。あっちでずっこけ、こっちで蹴つまずきながら。

 後悔は無い。ついて回った貧乏暮らしにも。嫁さんと子供達への自責の念を除けば。貧乏暮らしを強いたことよりも、自己矛盾を強いたこと。腹の据わらねえ俺の。

 それは間違いなく悪だ。死ぬまで抱える課題。嫌も応も無しに。


※前も言ったが、吉本の本は「おめえに長兄の資格は無え」。そう怒鳴り付けた男に全部捨てられた。親父が生きていた頃、実家に預けた書籍等々と一緒に。あるサイトの孫引き。御容赦。