識者

 昔、新聞記者になった尾崎咢堂が「私は世の識者に訴えるために書く」と言ったら、聞いてた福沢諭吉が鼻くそほじくりながら、「そうかい。俺はサルに読ませるつもりで書く」と言ったとか。元ネタは雪国出の無頼派作家だったと思う。

 福沢は、民衆庶民の感覚を知る下層武士(でも特権階級)の出の啓蒙屋らしい言い方。

 尾崎は、普通の武士(無反省の特権階級)の出の感覚の持ち主。事実はどうだか知らねえ。感覚が。

 明治初期の民権運動は大まかに二種類だったというのが、地場の資料漁って得た俺の印象だ。

 反骨(特権意識の一種)で運動に入ったのと、暮らし向上・権利獲得の民衆感覚で運動に入ったのと。

 当時の新聞屋は、田舎だろうがどこだろうが、全部が全部前者と思って間違いねえと俺は思っている。武士の出の政治屋の周りに徒食したむろし、ごろを巻き。いわゆる中央だろうがど田舎だろうが、大体こんなもんだったはずだ。

 政治記者なんて、今もそんなもんだべ?

 世の識者って奴は当時、全部が全部武士的・朱子学的教養人だった。(民衆的教養人なんてまともにゃ育っていなかったんだからね。)

 この流れ(エトス)は、今もちっとも変っちゃいない。

 民衆感覚の思想ってのがあるとすれば、識者になんか訴えちゃ駄目ってこと。

 民衆に、イコール自分に訴えるものじゃないと。

 朝起き、飯食い、糞をして、働いて寝て、人を愛し、子を育てて死んでいく。この普通の生物が民衆。俺。

 民衆なんて言葉自体、あちらのエトスの造語だべ。

 客体的響きしかねえ言葉を使うってのは、嫌なもんだ。