民権の二つの流れと職人労働

 前にも言ったが、明治初期の自由民権には不平士族の系統と、今でいう村起こし・地域起こしの系統の2つの流れがあったというのが、俺の田舎の資料をほじくって得た実感。

 一人の人間にも、この二つの流れが思いとして交錯することがある。俺なんかもそうだった。

 はっきり思うのは、不平士族の系統の自分は絞め殺さないと駄目だ。縦社会の中の、たまたま下層になった怨念に過ぎない。

汗して生きる中で得るもの作りの摂理。これと「現実」社会の矛盾。これを肌身で知った時、虚構の姿がはっきりと見えてくる。ガリレオのごとく。

 異議申し立ての根拠はここにあると俺は思っている。虚構が生み出す交換価値(損得打算)によってねじ曲げられるもの作り。これは精神、物質を問わない。

 労働疎外、疎外された労働。これを絶えず感じ続けることが重要だと俺は思っている。自分自身のための真っ当な、手を抜くことの無い仕事の中で。 
 かつての職場の下町の出の職人労働者。エリート臭のサラリーマンには毛嫌いされ、下請け孫請けアルバイト(の中の仕事熱心な者)には慕われた男。彼の、人としての説得力の根拠はここにあったと今も思う。

 大阪から俺が消えたのは三十三年前。あの頃の大阪には良さがあった。薄汚れた旧市に住む人々には。闇市の痕跡がいまだ残るなんてと、俺の知る東京人は馬鹿にしたが。整理に適合した者達がなんと言おうと、良さは良さだった。