(3)言葉(初出 06/20/2007)(一部改訂)


 俺が大嫌いだったのは、同情というやつだ。



 安全地帯に自分を置いて、人に言葉を投げかける。返事するのもしんどいのも、分からずに。



 そこまでなら、悪気の無いお人好し程度の話だ。お人好しを嫌ういわれは、俺にはない。



 本当に嫌なのは、ヘドが出るほど嫌なのは、この種の者達の多くは、安全地帯が侵されると感じた途端、ヘビより陰険陰湿な顔を平気でさらすからだ。そいつを即座に実行するからだ。



 



 「下請けに金回せや。ワレワレのふところに入る分の」



 その昔、今となりゃ破格の賃金労働(力提供)者だった時代、腹立ちまぎれに俺は言った。その頃いたカイシャの「労働者の権利を守る闘う労組」の職場集会で。



 口先共には、はらわたが煮えくり返っていた。現場仕事の体感、皮膚感覚はスルリと避ける「知的労働者」達。全部が全部、カイシャが搾取してるわけねえだろ。



 



 腹立ちまぎれだったが、腹は決まっていた。はね返りは受けるぜ。



 受けた結果が今だと思ってる。



 言った言葉は、自分に当然はね返る。言葉の下の、無意識の流れがあるからだ。流れに沿って生きてるのかいと、無意識はうずく。うずきが無けりゃ誰だって、ブタのように眠りこける。



 別に今を想定した訳じゃない。貧乏なんて、いいことは何一つ無い。人は貧乏人を、無条件に見下す。



 家族ごめんなさい。親父のバカさをもろに受けた奥さん、上の子ごめんなさい。下の子は防波堤だった上の子のお陰で、ぼ〜っと育った。それでも言いたいことは、山ほどあるだろう。



 



 辞めた俺を、陰湿にねちねち追っかけたのは、お前らにもうずきはあったんだろう。



 だがな、お前ら許す気は金輪際ねえ。そんなもん許してりゃ、この世は全部善人だ。具体的に生きる意味なんて皆無だ。