女は不幸の家(初出 07/24/2006)


 私の家は、女が幸せになれない家だ。



 私の父の母は、不幸な思いを抱いたまま若くして死んだ。父はそのことを、生涯知らなかったようだ。私がその話を聞いたのは、父が死んだ後の十年ほど前のことだ。教えてくれたのは妻だった。妻は母から聞いたのだ。普段は思いを言うことのなかった母は、その話を多分誰よりも早く、日頃は軽く見ていたはずの妻に打ち明けたのだ。私は妻が語る事実に驚いたが、意外さはなかった。「ああ、あり得ることだ…」。そんなた受け止め方だった。女が不幸になる家…。そんな思いが浮かんだのもその頃だ。



 女が不幸だとすれば、男も不幸に決まっている。だが女はその本性から不幸に目覚めるのに対し、男は女の不幸に気付かない限り、自身の不幸には気付こうともしない。少なくとも、私を含めた我が家の男達は。また女も、母性が希薄なほど不幸には気付かないのだろう。それは産み落とした子供の数の問題ではない。



 私はといえば、この家の共犯者のままここまで来てしまったというのが正直なところだ。今にして思えば、私は自分に希薄なものを求めて妻と結婚したのだろう。だが、私に希薄な要素を妻が濃密に持っていたとしても、私の空無を埋め合わせることなどできるはずはなかった。それは結局のところ、それぞれが自分で充填するしかないものなのだ。そのことにはっきりと気付いたのは、近頃のことに過ぎない。



 私は観念や一定程度の思いとしては、我が家の欠陥を越えようとするものは持ち合わせていた。だが欠落に気付くことと空無を埋めることの間には、千里の隔たりがあると今にして思う。気付かないよりは気付く方がましとは、よく言われることだ。だが気付く程度で事が半分でも済むなら、批評家が政治をやり、学者が社会を経営すれば事は足りる。私は実際、自分を含めて、気付いただけの者達が垂れ流す害悪にまみれてきた。そこに留まる者達は、歳とともに確実に、悪質に退化する。



 私も「芽むしり仔撃ち」の一人だったことは、その後記さなければならないと思う。