日陰者達(初出 10/02/2006)


 ある人物の歩みを掘り返していた時、偶然大逆事件の関係者にぶつかった。弟は刑死し、兄の彼は秋水らの分も含めてだろう、裁判費用の全額を負担して、不遇のうちに死んだという。



 この事件がどこまで事実で、どこまででっち上げだったかは知らない。だが秋水が民権運動の血を引く人物で、明治の民権運動は、国策のゆがみの中で弾圧され、日陰者に追いやられたぐらいは知っている。田舎の歴史をひっくり返しても、そのことは感じる。彼らはたいてい、否応なく左翼になった。



 秋水も、この兄弟達もいまだ不遇のまま、日陰者のままだ。彼らを英雄視する気はない。だが、ゆがみの中で殺され、死んだ者達がいまだに顧みられないこと自体、靖国なるものを持ち上げ、自負心のみを満たして進む権力者達と、変わらぬ国家の姿を映し出している。



 そうした国家にどこかで心を重ね、彼らを日陰者としてしか見ない人々。抵抗の歩みを反抗期のガキの論理にすりかえ、作ろうとせず、親から金だけせびって沈黙した者達。この国の歴史と社会はいまだ未成熟、いびつなままだ。



 抜け落ちたものは何か。修飾などに囚われず、歴史を振り返れば見えるだろう。自分の胸に手を当てても、見えてくるだろう。