えせ職人(初出 8/12/2006)


 関西にいた頃。当時言うパチカメ(スチール写真)の写真家をめざし東京で就職し直した助手の一人が、数ヶ月で舞い戻ってきた。挫折したと言うのだ。



 「写真スタジオに何十人、雑魚寝させられてました。力のある者だけ残るというやり方で」。「力が無かったから…」。瀬戸内の島の出の若者は、自分を責めた。私はどこかウソ臭さを感じた。写真スタジオなる所に対してだ。「有名なスタジオです」と若者は言った。それは関係ない。だが見てきた訳じゃないので、実態は不明のままだった。



 郷里に戻り、新設地方局の下請け会社の者達と親しくなった頃。仕事帰りの取材車の中で一人が言った。「東京にいた頃はひどかったです」。



 彼らがいた映像プロの話だった。先輩達が洗濯を押し付ける、買い物に走らせる、部屋の掃除までさせる。殴る。「職人の世界なんですね」。



 私は聞いた。「助けてくれるんだろ。仕事とかで困ったら」。「いえ、責任押し付けられただけです」。



 一部かどうかは知らない。しかし、東京の制作会社のその種の話は他でも聞いた。なるほど、この連中が最初に見せた底意地の悪さは、そこからか…。



 人が集まるのにあぐらをかいて。相も変わらずの首都の裏顔。だが同じことをばら撒く奴らは、同情の値打ちもない。