さら地にする
(初出 10/17/2006)
自分をさら地にする。それが人生だったような気がする。
空しい気もするが、こんなもんだろうなという思いが大方だ。
それは一言で言えば、垢をそぎ落とす作業だった。いまだ未完成。カビの生えた意識はいまだ湧き出すことがあり、うかつにいると体裁のたぐいも、古傷のようにうずき出す。
諸々含めて俺だ。そうやって押し通す人生もある。だが、自分がやったらサルまねだ。人はそれぞれ、否応なく背負っちまったものはある。
親兄弟・親族・知人の大半は、虚構に虚構を積み重ね、それにすがって死んでいく。平民なのに、気持ちは公家か雇われ武士。民間なのに意識は役人。自分に根ざさない自負、プライド。人工の近代の中、身に染みついた習性だ。
未完のさら地は、子達が受け継ぐだろう。石ころだらけ、切り株もそのままの値も付かない土地だが。家族は、さら地作りの工事の中、つらい思いもしている。要らぬと言われても、文句は言えない。
はっきりしてるのは、ボロ小屋は俺の代で解体するしかないことだ。