無意識を耕す

            (初出 03/21/2007  やめちまったサイトより)


 無意識の世界を耕す。



 わが身を振り返っても、それは大事だったと思う。



 ケチな話だが、中学生だった子供達に「試験の前は、人と話さない方がいいよ」と言ったことがある。上の子も下の子も「そうして良かった」と言って戻ってきた。



 たかだか試験の知識でも、子達のさまざまな思いと結んで、身体に蓄積される。前日深夜の充実感も含めて。それは、言葉で切り裂かない方がいいのだ。



 沈黙は、体に沁み込んだものの持続の世界だ。職人が寡黙なのも、「感じ」を維持するためだ。もの作りの本質は、感じの側にある。



 何かの童話で「これを編み上げるまで、答えちゃいけない。振り返っちゃいけない」という話があった。あれは「感じ」の世界を表す寓話だろう。



 無意識の世界の深耕は、沈黙の中で進む。そこには孤独が付きまとう。それが、魂を深く耕すことの難しさだ。不安に駆られて人を求める。言葉にすがる。その瞬間、何かがはじけて消えて行く。



 何かをなし得るかどうかも、ここにかかっていたと、振り返って思う。傍から見れば、どんなに小さな行為だったとしても。



 親として思うのは、孤独の中を行く魂を育てられたかという点だ。それなりに進んでいるのをみればうれしいし、ああ俺と同じことを繰り返している。それを見れば苦しさが湧く。自分の愚かさにだ。