ほんまもんの「馬鹿の壁」は―

             (初出 03/22/2007  やめちまったサイトより)


 以前宇宙を飛び、今はどこかの田舎で百姓生活をしている人物の話を聴いた。



 説教調が抜けないのは、いまだあちら側の人ということだろう。田舎者は口開けて聴いてても、その辺は嗅ぎ取る。



 一つ記憶に残ったのは、『馬鹿の壁』の先生の話だ。



 「あの先生は、総ての出来事は脳内の事柄で捉えられると言っていたが、そんなことがあるわけがない」。この辺は、十余年とかの百姓暮らしの成果か。



 俺も、あの先生は胡散臭いと思っている。彼は、無意識に関わる事項は避けるのだ。週刊誌のインタビューだが、皇室に関わる事柄は、「恐れ多くも、我々が推論、口出しする話ではない」。



 飼い馴らされたインテリとは、これを言う。



 先生の本がベストセラーになったのは、国民の大半は先生の同類か、同類たることへの憧れの結果だろう。「頭の良さ」の思い込み。ある系の上の「頭の良さ」に過ぎないものが、百余年の「教育」の結果、見えなくなってるだけなのだ。



 「頭が悪くなる」努力。こんなくだらねえ努力が要るのも、人を育てられない馬鹿げた家庭と、人を育てたつもりの馬鹿げた教育の尻拭いなのだ。



 浄土真宗の還相も、それだろう。昔も今も、人は変わらない。同じところでけつまずき、同じ反省繰り返す。「頭がいい」ままくたばるよりゃ、ずっとマシだが。