2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

 青春の扱い方

1960年代の中頃までは飲み会や飲み屋街で、周囲に眉をひそめられながら声高に軍歌を歌う、勤め人の一団などがいたように思う。 かつての学生運動の者達なんかも、案外同じことをやってるんじゃないかと思うことがある。 自分の青春が懐かしいのは、誰しも同…

表現と自立

(初出 11/29/2006) 孤独に徹する時、心は温まる。 心が核を形成し、熱を帯びるから。 さみしさに駆られて他を求めれば、心は最大公約数を求めて拡散する。やがては四分五裂し、笑いたくもない所で笑い、泣きたくもない所で泣くようにもなるだろう。 関わり…

独語

(初出 11/28/2006) 高慢な女は嫌だ。 心の内側に、どんな悲しみを湛えていても。 持ち上げられなければ気がすまない男は嫌だ。 家庭にどんな不幸を抱えていても。 傲慢を打ち捨てる気のない者達は、行き着くところまで行くがいい。 その程度の努力は、最低…

「子」ではだめなのだ

(初出 11/16/2006) 昔、サラリーマンだった頃。私が熱心に仕事をすると、色めき立つ者達がいた。反発して。 「体制側」と思ったのだろう。 この種の「反体制」は、私が自分の意思で職場を去る時は、沈黙した。関係も、組織を辞めた時に切れた。 反発をテコ…

共和制は自己認識の問題

(初出 11/15/2006) 共和制は特効薬ではない。理想郷でもない。 ロシアも中国も、あの北朝鮮さえ共和国。事の本質はそんなところに無いと言えば、確かにそうなのだ。 私は、それでも共和制を想う。それは事の本質へ、自己認識の問題へと通じる回廊を持ち合…

黙って見つめる

(初出 06/27/2006) 黙って見つめる。それがいかに大事で、いかに難しいかは、自分を振り返ってみてもよく分かる。人は不安になると、相手に言葉を求める。私も同じだったが。それを軽蔑もせず、たじろぎもせずに黙することが、どれほど難しいことか。相手…

団塊なる者達 (その二)

(初出 1/07/2007) 世代に意味などない。 歳を取れば、たいてい誰も守りに付く。同じことの繰り返し。 ではなぜ団塊なるものを? たまたま実態知ってるから。関わった範囲で。 知る者達の一人でも、生きたと感じさせる者がいたら、若気の自負や観念など、チ…

さらばプチブル達 (追補)

(初出 1/16/2007) さよなら、他人のアタマを載せた者達。

嘘と虚構 (団塊なる者達 (三))

(初出 1/16/2007) こいつらがせっせとやったのは、頭で自分を正当化することだった。 「革命なんて古い」 「インダストリアリゼーションの進行で社会は変わった」 「多国籍企業がコッカの概念を変える」… 当たってたぜ。カビの生えた革命話よりは。 その正…

真面目の根源

(初出 6/25/2007) 薩摩の西郷さんは、「人の中にいる時は、孤独の部屋にいるつもりで。孤独の部屋にいる時は、人の中にいるつもりで」と言っていた。 こいつは難しい課題だが、真っ当に生きるためには、実践的かつ不可欠な課題だと思っている。 俺は、俺の…

野茂(初出 6/25/2007)

野茂の復帰は、早くて来季という記事があった。 俺が野茂で思い出すのは、死んだ親父が「素晴らしい青年が出てきたなあ」と、わざわざ俺に言ったことだ。90年か91年だったか。 のこのこ田舎へ舞い戻って来て、うだつの上がらないまま歳を食う「不肖の息…

民宿の親父(初出 7/07/2007)

しばらく前だが、冬は雪に閉ざされる田舎の村で、永年民宿やってる農家の親父に会った。 色々やった親父とか。高校出てすぐ、何とかの太陽の題名の、ぼんぼん不良のなれの果てが主演した映画の舞台になったダム作りの現場に入った。 「あれはいいとこばっか…

「安全なら東京に」(初出 7/23/2007)

二月に死んだ義理の親父は、言ってた。 「そんなに安全なら、原発は東京に作ればいいことや…」 地震でぶっ壊れたのか、壊れる寸前なのかの原発は、親父の村の近くにある。

ひとり言・人生大事なのは―

(初出 08/03/2007) 人生大事なのは、頭で夢は描かぬこと、自分の世界を捨てぬこと、自分の領分で生きることだ。 こいつは、「分を守る」などとは全然違う。 持続と流れという奴だ。 諸々をそこに取り込む分には、木に竹を接ぐ類の滑稽、虚偽は免れられる。…

自己批判、自己否定 

批判者の自分は、抹殺しなければならない。 俺は過去の色々な殻を背負い込みつつ、現に生きている。 そういう自分を見失えば、丘の上の批判者になる。 与えられた観念に立ち、生身のヒトを嘲笑した左翼、労働運動、新左翼。 与えられた民主に立ち、批判者で…

再生の手づる(初出 09/30/2006)

歴史を掘り返せば、きっと気付くことがある。大げさな歴史じゃなくていい。町工場の歴史。土建屋の歴史。片田舎の学校の歴史…。それで十分。 共通するのは、敗戦後の十年近くの間、人は猛烈なエネルギーで、イマジネーションで生きたことだ。 でかい理由の一…

 教育基本法(初出 9/26/2006)

敗戦後、旧制中学から新制高校になったある学校の「生徒手帳」には、下記の一文が記されていた。昭和で言えば20年代中頃のことだ。生徒達が自分らの手で作ったものだ。 …われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、…

一生反抗期(初出 9/16/2006)

一生反抗期。 長兄はそれ。それで終わる。どう終わるのか。形にすがる。吠える相手の親父は、もういないのだ。 これは親に責任が。 子に責任が。 越えられないのは、親が虚像で生きるから。虚像など越えられるわけがない。 越えられないのは、子が自分を省み…

自分の本体(初出 9/18/2006)

ある宗教が自殺を禁じた意味は、よく分かる。 たかだか意識の分際で、無意識を含む自分を絞め殺すなんて、ふてえ野郎だ―ということだね。 無意識の主は私だ、なんて言われちゃたまらんけど。 意識に脅されない自分をつかむのは、大事だ。 意識の外皮は、突…

 疲れと自分と宗教改革(初出 9/18/2006)

振り返って思うのは、疲れの抜き方の大切さだ。 若いうちは勢いでやって行けた。それでも当然疲れることはあり、その抜き方が肝心だった。思えばよく失敗した。疲れの処理を誤ったばかりに、人生が大きく変わるということは、確かにあった。 四十代では死に…

 観念は傷付け合う

観念は傷付け合う。 娑婆の垢と根深くつるむからだ。 感性を、トータルなものを回復するしかない。 自分の持続的な否定の上に。

子孝行ノススメ (初出 11/26/2006)

本当に大事なのは、子孝行だ。 親は子のためには、自分を無にできる。子の心を、生き方を膨らますために。 子に見返りを求めるのは愚だ。子のやさしさをもてあそぶのは愚劣だ。 わが身を無にして子を見護る。そうすれば子は、子にまたそうするだろう。それが…

「だから俺の言うことを聞け」

(初出 11/23/2006) 07:35:55 どんな教義にも、人の真理は含まれる。 人々はたいてい、そこに信を置いて入信する。 それはたいてい、見せ球に過ぎない。 後に続くのは「だから俺の言うことを聞け」。 「教育勅語」はいい例。 真っ当な親なら、この種のせり…

野に在れ ―共和制の根―(初出 1/28/2007)

野に在れ。 訳は明白だ。 共和制の根もここだ。

説教好きと不良(初出 1/28/2007)

「変人のコイズミさんに招かれて、変人の私が…」 そう言って「中央」のなんやら会議に、嬉々として加わった者がいる。 プチブル仲間を放棄して田舎に戻った俺に、ぞんざいな口を利くようになったクリスチャンばあさんの親戚。 「クリスチャン=信念のヒト」…

虚構の全体か、実体の全体か (初出 1/27/2007)

権力は空白を侵す。単純に、力と力の関係だ。 人が衰弱し、人の総和の社会が衰弱すれば、資本家共の欲望と結んだ統治者の野望は、生じた空洞に侵入する。 全体性を、無欠の全人を装い。 「部分でしかなくなったお前らの代わりに、範を俺達が示してやるよ」。…

全体なるものの回復 ―家庭と共和制の根拠―

(初出 1/27/2007) 奴隷は部分に、上っ面に引きずられる。 「ご主人様」が明らかな時代、敵は明らかだった。 今は? 資本家共の勝手な論理。欲望という一端のみの本性の露出。 明らかだが、明らかにならない。 「納得」するからだ。馬鹿達が頭で。 頭という…

コクミンはプチブルに、そしてまたコクミンに (初出 1/26/2007)

上っ面に合わせ、ころころ。 プチブル達の得意技。 かつてはコッカに翼賛し、その後は自由を空気のように吸い込み、 何が自分か思うこともなく競争し、 でき合いばかり買い漁った。 解体されることのなかった階級意識、特権意識に自分を重ね合わせ、 腐った…

この矛盾、この阿呆臭さ

(初出 1/20/2007) 俺が困難な時、手を差し伸べてくれたのは保守の側、あるいは保守の側と目される者だった。若い頃からそんなもんだ。 人との関係で思想を選ぶなら、金輪際民主だの革新だの、口にしないだろう。 この矛盾と阿呆臭さ。 ここにはアタマとカ…